思想と感情は別なので、基本的に上機嫌で過ごしていた方が誰にとっても良い事であるとわかっていても、不愉快な状況に対して声を上げているのに年単位で対応してもらえない状況が続けば上機嫌ではいられないのです。
今私と嫁さんの間にある断絶は「嫌いならしなくて良い」という勘違いです。
私の主義主張は「嫌いでも必要があればしなければならない」なのですが、嫁さんの主張は「嫌いならしなくて良い」なのです。
大きな断絶です。
ぶっちゃけ私も働いていないので強い事は言えないんですが、家族という集団を維持するのにおいて多少の義務と多少の我慢は仕方がないと思っていて、家族でいられるというメリットに対しては義務と我慢のデメリットが釣り合うと思うのです。
というかもうちょっと突っ込んで話をすると、嫁さんが嫌いだからしない、事によって私がとても嫌いな状況に追い込まれているのです。そしてその状況は私では対処できないという。
それを訴えてはいるんですが切実さが伝わらないのか、年単位で対応して貰っていないので我慢も限界なのです。
方法としては2つ、本来自分ではできないところを無理を通して自分でするか、嫁さんとの関係を終わらせるかです。
本質的にはそれしか方法がないんですよね。関係性を構築する中で関係性を破壊するインシデントがあるなら自分で対応するか諦めるかという判断なので。
非常に面倒くさいんですが、今回は自分でやろうと思います。無理を通して道理を引っ込める話なので文句を言われるかも知れませんが、それこそ知った事ではないのです……。
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如月翔也
ガジェットとAppleとTRPGが大好きな中年男です。文章をとにかく書くのが好きなので毎日のように色々なブログで文章を打ちまくっています。もし何か心に引っかかるものがあれば私のTwitterをフォローして頂けると更新情報が流れます。