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未分類 2020年6月29日

創作とインプットの関係

私は人に「僕は創作していますよ!」と言えるほどには創作していないんですが、「創作インプット」という検索履歴があったのでネタにしますね。 創作とインプットの関係は、大量にインプットして噛み砕いて破片にしたものを消化して組み上げたものを「創作」として吐き出すものなので、創作が思うように行かない時はインプット不足を考えると良いかも知れません。 母国語を習得する関係上、創作は必ずインプットが先です。大量のインプットを成して、それを噛み砕いて消化したからこそオリジナリティを持った組み合わせで創作ができるのであって、インプットの量が足りなかったり噛み砕く粒度が荒かったりすると創作ではなくパクリにな……

未分類 2020年6月28日

伊達と酔狂

検索キーワードに引っかかっていたので勝手にお題をいただきました。 「伊達と酔狂」ですが、それであれば持てる熱量を全部投入してやるのがいいと思います。 自分の力をフルに出す、というのは基本的に生命に関わる問題の時以外はしない事なんですが、たまにフルで能力を出しておかないといざという時にフルの能力が出ない可能性があり、たまにフルスペックを使っておくべきだと思うんですよね。 でもそんなの一度仕事で使ったら「次もフルスペックを出せ!」という話になるのでチキンレース・デスマーチ化する運命なので仕事でフルスペックを出すのはおすすめできないので、使うのであれば結果が伴うと面白い「伊達と酔狂」でやる時……

未分類 2020年6月27日

仕事じゃないんだぞ、真面目にやれ!

基本的に仕事は生きるためにしかたなくやっている事なので最低限を最短で、という方向性で行くとして、趣味については「仕事じゃないんだぞ、真面目にやれ!」という話だと思います。 お金を貰ってやる仕事は「適切」のレベルでいいと思うんですが、趣味は自分がお金を払ってまでする事なので真面目にというか前向きにやらないともったいないですよね。 まあ趣味を仕事にして「仕事だし趣味だぞ、本気でやれ!」という話に持っていくのもアリなんですが、全員が全員そうなってしまうとデスマーチ直行なので良くなく、仕事は「仕方なく」やりながら趣味は「本腰を入れて」やっていく趣味人のスタンスで行きてくのが全員にとっての最適解じ……

未分類 2020年6月25日

創作への批判は恐れなくていいです

このブログのアクセス解析を見ていたら「創作批判怖い」というキーワードを見つけたので、自分の創作を批判されるのが怖い人がいるのかな、と思いブログに書く事にしました。 結論から言うと、創作への批判は恐れなくていいです。創作への批判など呼吸をする事で二酸化炭素を出す事を責めているのと一緒で無理筋なので、聞くだけ無駄です。創作は自由なので批判は恐れずに、しかし批判は批判で表現なのでそれ自体を否定せずに穏やかなスタンスでいられればそれでいいです。 創作というのはその人の感情・想いを形にしたもので、そういう意味では誰だって創作をしているのです。何かを言葉であらわせばそれは表現ですし、何かを動きで……

未分類 2020年6月23日

遡れないほどの過去を責めてはならないのは

BlackLiveMatterの暴徒化についてもそうなんですが、基本的に良くない過去があったとしても、「該当者」が生存していないほど過去をさかのぼって責めるのは良くないのです。というか遡れないほどの過去を責めてはならないのです。 なぜかと言うと、例えば今私達が良識に従って善良に生きているとするじゃないですか。でもこれが100年後になったらどこかしらアウトになっている行動があると思うんですよ。そして100年後に「100年前の人々は邪悪だった」と言われる訳です。 でも、おかしいじゃないですか?今真面目に善良に生きていて、将来のモラルに適合はしなかったかも知れないけれども悪と知って悪をなし……

未分類 2020年6月20日

僕たちは「差別したい心を持っている」事を認識しないといけない

ネット上で溢れるヘイト、そして能天気に「これは区別だから差別じゃない」という人が大量にいるんですが、属性に対する区別は基本的に差別です。全体的に。 僕らは「差別したい心を持っている」事を認識しないといけないと思っていまして、無意識に何かを区別している時、それは区別じゃなくて差別じゃないのか、と疑ってみないといけないのです。 私が許せないものは許せない、みんなも一緒に許さないで欲しい、という気持ちは基本的にヘイトで、あなたが許せいないのは内心の自由なので許せなくていいんですが、「みんなも一緒に許さないで欲しい」というのは筋が違います。そういうのは基本的に「盗む、騙す、殺す」だけであって、そ……

未分類 2020年6月19日

メモなのでお気になさらずに

Tumblrの今使っているテンプレートは「無料テンプレート」の中にある「MinimalbyArturkim」というのを使っています。 GoogleSearchConsoleに登録するためにHTMLを改変しており「カスタムテンプレート」として扱われているので同じテンプレートを探す時には名前と種別をメモっておかないと見つからなくなるのです。 今日一回テンプレートを見失って発見するのに手間取ったのでメモを残しておきます。 基本的には「書きたい」ニーズでこのTumblrを使っているんですが、どういう人が見に来てくれているかやどういう動線で見に来てくれているのかには興味があるのでGoog……

未分類 2020年6月18日

特定の事象が許せなさ過ぎる場合、疲れているのかも知れません。

故あって物凄く疲れているんですが(そして疲れが取れる未来が今の所見えない)、疲れている時って心に余裕がないので普段なら気にならない、気になっても全然許せる範囲の事が癇に障ってイライラし始めるんですよね。 大体の場合人は心に余裕があると鷹揚になり、余裕がなくなると狭量になるんですが、疲れている時っててきめんですよね。 そういう意味で、今なにかすごく気に障る何がかあるとして、攻撃したい気持ちで溢れている人がいらっしゃるかも知れないんですが、それ本当にそんなに気に障ります?と思います。本来ちょっとイラッとする程度のものに過剰反応していませんか? そもそも何かを叩くという行為は示威行為・または……

未分類 2020年6月16日

同じ論法で殺される論法を使うのは筋が悪いと思います。

ネット界隈を見ていると色々な意見があるんですが、感情的・過激なものも含めて、「同じ理論で殺される論法」を使う人が非常に多くて面白く思っています。 「その理屈でいうと〜は〜だから同じ論法で死なない?」というただ単純な疑問を、それを吐いた人は持っていないのです。 しかし言っている人の話が本当に正しいのだとしたら、同じ論法で言っている人の意見も否定されるので、その話の先には焼け野原しか残りません。 まあ焼け野原にしたくてそういう論法を多用している人もいるのかも知れないんですが、人に論を吐く時にはまずその論が自分の袖を汚していないかに気をつけるべきで、相手を指差す前に自分の袖が汚れているのでは……

未分類 2020年6月14日

論理的であるという事は優しいという事なので

屁理屈ばっかこねやがってこの畜生が、と思うかも知れませんが、私は理屈をこねている時は「優しい」つもりでいるのです。 何を言っているのかと言うと、「優しさ」って2種類あると思うんですよ。 その時その人が求めている何かを提供する「与えるタイプ」の優しさと、常にいつも変わらず同じ系統を返す「変わらないタイプ」の優しさがあると思うんですよね。 ただ、「与えるタイプ」の優しさってポジショントークだと言うか、その人が求めているものを出しているだけなので究極的に言うと自己愛を肯定しているだけで何も与えていないですし、人と場合によって反応が変わるので結果が一定しないと言うか、とにかくブレやすいと思うん……


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