こんにちは、如月翔也(@showya_kiss)です。
今日は「世の中を任せられる天才なんかいない」というお話をしようと思います。
世の中を任せられる天才なんかいない
なぜこういう事を真顔でいうかというと、別に僕が世界で一番頭が良くて僕ですら無理なので世の中を任せられる天才なんかいない、というわけではなく、今まさに「世界を任せられる天才はいない」事を証明できる材料があるからなのです。
世の中、民主主義がメインで動いていますが往々にして衆愚主義に陥っており、馬鹿が政治に参加するより、任せられる「頭の良い人」に政治を任せてより良い世界を目指す方向性はないの?具体的には政治家のXXさんはどう?みたいな話をする人っているんですが、ちょっと盲目なんですよね。
どこが盲目かと言うとですね、本当に任せられる「頭のいい人」がいるのであれば、今の時点でもう実権を握っているはずなんですよ。
なぜかというと、ちょっと説明しますね。
馬鹿は頭のいい人にうまく説明できないが、頭の良い人は馬鹿にわかる説明ができる
大前提として言うと、知能レベルがあまりにも違うと会話が苦痛になるのは事実なんですが、馬鹿の人って自分の考えを論理的に説明できないので馬鹿の人の話は馬鹿の人には通じないんですよ。
しかし、頭のいい人はその気になれば相手のレベルまで思考レベルを下げる事ができるので、「頭の悪い人にもわかる説明」ができるはずなんです。
そして、世の中を任せるに値する良いアイディアを持った頭の良い人がいたとして、そうであれば、とっくに「各種知能レベルに合わせた説明を駆使して全ての知能レベルの人に理解されて賛同されてそのアイディアは実行に移されている」はずなんです。
逆に言えばそれができないレベルであれば「世の中を任せるに値する頭の良い人」というレベルではないわけです。
こう説明するとわかって貰えると思うんですが、上記の行動をしっかり取れている人っていないですよね?なので、「頭の良い人に管理してもらおう」という甘い考えは実現不可なので、全員が各々で限界まで知恵を絞り、意見を交わして「ベスト」を一発で決めるのではなく「よりベター」な意見を積み上げていってより良い世界を作るのが地道ではありますが最短の道です。
人に任せるのは魅力的ですが
何かを人に任せられるのは魅力的なんですが、任せたからといって責任から逃れられるわけではないので、任せた相手が愚かな行動をしたら選んだ自分も同じだけの責任を受け入れないといけないですし、任せた相手が良い行動をしたら自分の判断を褒めて相手も褒め、次回以降も褒められる行動をして貰うべくちゃんと投票する事です。
あきらめ、厭世、面倒くさい、世の中変わらない、それはすべては事実ですが、それでも全員が動けば変わるのが民主主義、全員でなくても半分が動けば、半分が無理でも、半分を占める集団の更に半分を動かせれば多数決により半分が動き多数決により決定されるので、全員ではなく多数派の半分だけ動かせれば良いのです。
アピールばっかりうまい寄生虫みたいな政治家ではなく、手弁当で頑張っているアピールしている政治家ではなく、実現可能な政策を実現可能な範囲内で修正し、最終的にどこに着地させたい、というのが納得できる政治家を選んで投票していきましょう……。
信じられる人がいるのはいいですが、脳を預けては駄目です。
政治に限らず、何かのジャンルにおいて「この人の意見は概ね正しいな。概ね中道を行っているな」という人を何人知っておくかが人生をうまく生きるのにとても重要なファクターなんですが、そういう人たちを「信じられる」と思うのは自由ですが、脳を預けてはいけません。「その人の意見を自分が吟味して受け入れる」であって、最終的な判断は自分でなければなりません。もちろん結果的に毎回採用する事があってもおかしくはないですが、たまに「あれ?」と思う意見があるくらいが人間としての違いの証明なので、「全部意見があうんですよね」という人はもしかすると信じられる人じゃなくてその人に脳を預けているかもしれません。
銀行と違って預かった脳は利息が付きませんしなにか問題があったら責任を取るのは自分なので、脳は預けずに常に自分脳のオーナーは自分であるべきですよ……。
この記事を書いた人 Wrote this article
如月翔也
ガジェットとAppleとTRPGが大好きな中年男です。文章をとにかく書くのが好きなので毎日のように色々なブログで文章を打ちまくっています。もし何か心に引っかかるものがあれば私のTwitterをフォローして頂けると更新情報が流れます。