「手段を選んでいられない」という言い訳は「目的を否定する事」なので自滅です。

こんにちは、如月翔也(@showya_kiss)です。
 今日は「手段を選んではいられない」という言い訳は、結果として「目的を否定する事」に繋がるので自滅手段であり、本当に何かを良くしたいのであればむしろ手段は徹底的に選びクリーンに行うべきなんだよ、というお話をしたいと思います。

過激なアピールは「商売」なんです

純真な人は騙されがちなんですが、「今ある問題」について過激にアピールして大きなムーブメントを作ろうとしたり、旗頭を担ぎ上げて「この人に任せよう!」というキャンペーンを張ったり、というのは、残念ながら基本的に運動家の飯の種にしかなっておらず問題解決に繋がらないのです。
 これを言うと怒られるのですが、ムーブメントを作って旗を振っている人はその人が注目されて大事にされてご飯が食えるのは「その問題が存在している間だけ」なんですよ。逆に言えばその問題が解決したらおまんまのくいあげになるか、新しい別のムーブメントを作るしかない。そして、世の中の著名な活動家は「問題はまだ残っている」と言い続けて運動を永遠に継続しているか、あるいは次々に問題を指摘して炎上させそれに乗って新しいムーブメントの旗頭に鞍替えしているのです。
 本来皆が眉をひそめるような問題についてはちゃんと正面から対峙して、議員立法、刑事訴訟、民事訴訟で解決していくのが法治国家の基本であって、そこをすっ飛ばしていきなりムーブメントを始める時点で問題を解決する気がないと言って差し支えないのです。

そして過激なキャンペーンは悪です

例えばヴィーガン運動でツイッターや他のSNSに動物の屠殺映像をセンシティブ設定なしにばらまく人がいますが、こういう過激なキャンペーンは悪です。
 センシティブ設定なしにバラ撒く行為は相手を不快にさせる目的で行われているものなので悪意に基づく活動なのでネガティブキャンペーンなので悪ですし、あとですね、棲み分け設定をせっかく作っているのにそれをあえて無視してもしかしたらトラウマを持っているかもしれない人にそういう映像を届けるのは、まあ端的に言ってテロの一種ですよね。

理由のいかんを問わずにテロは悪なので

理由のいかんを問わずにテロはすべからく悪、どんな崇高な理由を掲げようとも、起こしたテロは必ず否定されるべきですし、ただの一つでも称賛されてはなりません。テロを起こすに至った動機についても顧みられるべきではなく、それを行った人間はただ単に「テロという悪を行った名もなき犯罪者」として粛々と処すべきで、それ以上の対応もそれ以下の対応もしてはいけません。
 テロによって達成しようとした目的についても、ただ単純に「テロによって達成しようとした」がゆえに「検討に値しない」として切り捨てられるべき問題であって、どんな動線を通ったとしても「テロ」に行き着いたのであれば全ての行動は無視して処すべきなのです。

正しい事は正しく主張して正しく変えるべきなので

本当にそっちが正しいと確信を持って言える事なのであれば貴方は正しいので、時間はかかるかもしれませんが賛同者を集め票田として意味のあるだけの大きさの活動団体を作り、それを元に議員に働きかけて議員立法を経由して正しく世の中を変えるのが唯一無二で絶対的に正しい方法なので、それをしたくない、それをパスしたいというのであれば「面倒くさがりなのでアウト」「順番を待てないのでアウト」「手続きができないのでアウト」です。
 正しい主張は通るべき、それは事実として、他にも正しい主張はごまんとあるので、それを順に処理する以上貴方の正しさは今すぐ処理できないのは仕方がないし、それは他の正しさと比べるものでもなければ優先順位をつけるものでもないので、ちゃんと活動するべきなんですよ。
 政治に絡みたくないならちゃんと法律を勉強して現状の問題点について訴訟を起こして判例の第一例を作り第一例を作る事で前例主義である日本の司法を動かす事で結果的に社会を変える事もできますし、その導線を取るのも悪くはありません。
 ですが、それらの方法を取らず、違う方法で「現状を変える」を成し遂げたいのであれば、貴方はただの反乱分子なので(結局貴方達のやりたい事の行き着くところは革命ですからね)一回叩き潰されて社会的に立ち直れないところから再起して己の愚かさを痛感してみてはどうでしょうかね。

仕組みがあるのに使わないのはもうアウトなので

もちろん仕組みはあるけれどもそれを使いつつ認知度を上げて問題への対処を早めて貰おう、という方法論は否定しませんが、仕組みを使わずにいきなり吹き上がって旗頭を担ぎ上げてデモ行進、本来他の仕事ができるはずだった警察官や自衛隊員のリソースを食い荒らした挙げ句に自分等は被害者面をしつつ勝利宣言をして現状何も変わらず、「お前は何がしたかったんだ」と真顔で聞かれるような事をするのは高校生までしか許されない事なので(大学生はもう成人しているのでアウトですよ。犯罪は犯罪ですからね)、まず「目を覚ませ」、そして「現実を見ろ」、さらに「遠くにでもちゃんとルートが有るのだからそこを目指せ」としか言えないです。
 打倒体制が格好良かったのは今60代以上の人だけで、それ以降の人たちは彼らが何をやってそれを「なかった事にして」次世代に「政治には関わるな」と言い始めた事を氷河期世代以降の中年はみんな知っていますし、だからこそそこを抜いて若者を傀儡に仕立て上げてもう一回革命ごっこをやりたがっている老人と、そう扱われている事を知らずに顔役扱いされていい気分で旗頭をやっている若者がいて、それを支持する若者がいて、本当に老人の醜悪さに吐き気がするんですが、ただ一つ言います。

本当に正しいと信じる事をするなら、誰にも文句を言わせない、圧倒的に正しい方法で正しい手続きで正しく行え

どんな正しい行いでも、一片の「正しくなさ」が交じるのでれば、それを恥じろ。恥じて修正せよ

正しい事こそ正しく行え

僕らは正義の味方だから特権的に手続きをすっ飛ばして良いんですよ、という考えは、あまりにも幼すぎます。あとになって手続きをすっ飛ばした事を理由にその理想を取り上げられるという単純な事実に考えが至らないのですから……。

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如月翔也

 ガジェットとAppleとTRPGが大好きな中年男です。文章をとにかく書くのが好きなので毎日のように色々なブログで文章を打ちまくっています。もし何か心に引っかかるものがあれば私のTwitterをフォローして頂けると更新情報が流れます。


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