本質的に罪は許されるのかというと

 個人的な考えなんですが、人が罪を犯した時、何かで贖う事で罪や許されるのかと言うと、本質的には許されないと思っています。

 覚悟の上の罪であれば覚悟をした責任が、知らずに犯した罪なら無知の責任があると思っていて、それは周囲が許しても本人は自分を許すべきではないと思うんですよね。そういう意味で罪は許されないと思うのです。

 まあそんなに深い事を考えるきっかけがあった訳ではないんですが、「自分を赦せ」というのは宗教のする事で一般個人のする事ではない気がします。

 それを言い出すと責任論の深い所まで話が行って社会が悪いのか社会が裁いているのかという部分にまで突っ込むので筋が良くないんですが、そういう事を考えました、というお話しです……。

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如月翔也

 ガジェットとAppleとTRPGが大好きな中年男です。文章をとにかく書くのが好きなので毎日のように色々なブログで文章を打ちまくっています。もし何か心に引っかかるものがあれば私のTwitterをフォローして頂けると更新情報が流れます。