僕らはみんなセーフネットの上で生きている

どうもこんにちは、如月翔也です。
 今日はこの前ネットで投げかけられた「障害者は年金を貰っているので盗人である」というお話をもとに色々考え、やはりその指摘は間違っていると言うか、見えていない部分があってそこを踏まえていない意見だな、と思ったので、その点についてお話を整理したいと思います。
 ネットでよく見るお話として、「私はセーフネットの世話になっていない。セーフネットを維持するのに寄与したくない。セーフネットはなくすべきだ」という健常者・健康な人がいるんですが、そういう人達に読んでもらえればな、と思うお話です。
 あと、セーフネットのお話からちょっと離れて今存在する国民皆健康保険のお話もしたいと思います。

まずですね、セーフネットについてなんですが、僕は利用していると言うか、認定を受けて年金を貰っている(メイン収入は年金ではないんですが)立場なので、あくまで受け取っている側のポジショントークである部分は差し引いて考えて頂ければ、と思います。
 基本的には論理的に考えているはずなんですが、権利を享受している立場である事は僕は否定できないので(事実享受しているので)、その点についてはご指摘頂いても「前提として書いてますよね」という事で収めていただければ、と思います。

では、早速なんですが、セーフネットって不要か、そもそもセーフネットの制度を享受していない人っているのか、というお話をさせて頂きます。
 これですね、結論から言うと、日本に住んでて日本のセーフネットの制度を享受していない人ってほぼいないと思うんですよ。
 我々は年金を貰っていない、不利な立ち位置としての保護を受けていない、という反論が返ってるのが予見されるんですが、ちょっと落ち着いて考えて下さい。

インフラってありますよね?あれ、セーフネットなんです。

発展途上国の人とかによくある話なんですが、現状の世界において、人が一番死ぬ症状って何かご存知ですか?実はですね、世界で一番人が死ぬ症状って、下痢なんですよ。
 日本において死因の上位に下痢が入ってこないのって、これは明らかに綺麗な上下水道が完備されており、危ない水を使わないでいいという理由が挙げられるんですよね。
 今の日本において生活用水に一切水道を使わず、全ての水を購入して使っている人ってほぼいないと思うので、まず上下水道を使っている時点でセーフネットに預かっているんですよ。

次にですね、道路です。私は車を使わない、という人でも、歩道を使いますよね?
 まあ僻地に住んでいて道路が整備されていない人であればセーフネットに預かっていないという考え方も有るのかも知れませんが、舗装されていないとしても獣道レベルで「歩ける」道があってそれを使っているのであれば、「みんなが使うために結果的に整備された道を使っている」ので、国という枠ではないですが、互助という枠でセーフネットに預かっているんですね。

あとですね、安全です。道を歩いていていきなり銃で撃たれない、突然犯罪に巻き込まれないで済んでいるのは(まあ巻き込まれている人もいるとはおもうんですが)、日本の治安維持というセーフネットに預かっているんですね。
 安全と水は保証されてしかるべき、というのは仰るとおりですが、その「しかるべき」ってセーフネットなんですよ・

更に言うと、僕達が日本円を使って生活できているの、これは1万円という紙くずに1万円分の価値を認めるという合意に参加しているわけで、これもセーフネットなんですね。今物々交換で全部カタがついている人っていないですよね?だって税金を日本円で納めてますもんね。

と、言うわけで、「私はセーフネットの恩恵に預かっていない!」というのは、ちょっと足元が見えていないのかな、と思いますです。

ただ、社会的な弱者への救済制度が「悪用」されている現状は確かにあると思っているんですが、これをですね、直行で「社会的弱者は害悪」につなげると、それはヘイトなんですよ。
 「一部のユダヤ人は悪をなす。故に全てのユダヤ人は悪である」と書くと、ストレートにヘイトですよね。
 ヘイトというのは属性を区切ってまとめて悪く扱うのをヘイトと言うので、「一部の制度を悪用する弱者」がいる事を理由に全ての弱者を排斥しようとするのはやはりヘイトと言わざるを得ません。

正しくやるべきなのは、「法的に悪と認定される、制度を悪用した者(弱者に限らず)」を断罪せよ、と同時に「法的には悪ではないが望ましいと言えない制度」そのものを改善せよと要求する事です。
 この2点についてはアグリーしない人はほぼいません。ド直球の正論です。アグリーしない人がいるとしたら制度悪用者そのものである可能性が非常に高いです。

僕は常に主張するんですが、「ヘイトは特定層に悪意を向け、問題そのものの解決に関与しない逃避行動」であると認識しているので、ヘイトを行っている人には「それはヘイトですよ」という指摘と、「問題となる構造・制度そのものを変えていこう」と提案します。ヘイトを吐き散らしている間、そのヘイトはヘイトであるがゆえに「目的」そのものも否定される運命なので、本来なしたかった事はヘイトを言う事で否定されてしまいますし、ヘイトが終わってから構造・制度にアクセスしたのでは問題の解消に時間がかかりすぎます。
 ヘイトを言っている間問題そのものは「まずヘイトをなんとかしよう」というステータスで棚上げされるので、問題を早急に解消すべきだと考えているのであれば、絶対にヘイトは行うべきではありません。

セーフネットについては以上です。

セーフネットの一部である国民皆保険制度についてもちょっと触れておきますね。
 国民皆保険制度そのもののシステム的な欠陥によりフリーライドを行う個人が存在するので国民皆保険制度に懐疑的な見解をしめす人もいるんですが、国民皆保険制度「そのもの」はセーフネットの一部として、システムとしては合理的な部分があるんです。
 何故かと言うと、一回「国民皆保険制度」を解体した事を前提に考えてみましょう。
 国民皆保険制度がなくなったので、国民はみな10割「ではなく」100パーセント実費(病院などの人件費などを含む)で払う事になったとしましょう。そうなると、基本的に全ての医療は物凄い金額になります。あたりまえですよね、保険が効かないんですから。
 そうなると、当然の事として民間の「ほけん」と契約しなくてはまともな医療を受ける事ができなくなります。
 その前提で、民間の「ほけん」と契約するとして、契約する人の立場の問題があるんですよね。
 当然ながら、民間の「ほけん」なのでカバーする範囲が狭いほど安くなりますし、免責金額が大きければ大きいほど安くなります。上限金額も低くなれば低くなるほど安くなります。「ほけん」の支払いが遅ければ遅いほど安くなります。
 そうなるとどうなるかというと、ここで医療を受けるにおいて経済格差が生まれるのです。悪い意味でです。
 大金持ちは滅多にかからない重篤な病気については「万が一かかったら実費を払えばいいよね」という思い切りができるので、安い「ほけん」に加入して年間の「ほけん」費用を安くあげる事ができるのです。
 逆に貧乏人はどうなるかというと、どんな病気であれ実費が出せないので、カバー範囲が広く、免責が少なく、上限が高く、支払いまでが早い、「一番高いほけん」を契約せざるを得ないのです。
 要するに、金持ちはさらにお金が浮いて、貧乏人はもっと貧乏になるのです。
 国民皆保険制度は、そういう「医療における経済格差」を起こさないで済ませているという一面が、確かにあるのです。

ただ、老人の負担割合、老人の医療限度額の設定、障害者の指定疾病の医療限度額の設定、生活保護者無料の原則なんかは結構な問題になってくるんですが、これ自体は国民皆保険制度を否定するものではありません。制度を維持しつつ運用を変更すればいいだけの話で、叫ぶべきは「私は病院にいかないから国民皆保険制度をなくすべき」という事ではないかと思います。

あとですね、一点頭が痛い点があるんですが、「生活保護受給者でも1割負担にせよ」って言っている人がいるんですが、これはちょっと難しい問題で、今の生活保護って「医療を除いて(無料なので)」最低限文化的な人間としての生活を保証する、というシステムなので、医療抜きの最低金額を支給するシステムという建付けなんですね。
 じゃあ「生活保護受給者の医療を1割負担にせよ」っていう話にすると、「医療を含めて(有料になるので)」最低限文化的な人間としての生活を保護する金額を支給するシステムなので、結局その人の負担する1割って生活保護の金額から出ていくんですよ。
 そうすると、結局国庫から出て行っている事自体は何も変わらないので、1割負担すると十分な医療が提供されずに苦しむ人が増えるだけで(あと健康な生活保護受給者が支給が増えた分潤うだけで)、本質的な問題解決にはなってないんですよね。
 生活保護受給者は明らかに医療費が高い、というデータがあるという指摘もあると思うんですが、これはバイアスの可能性が否定できなくて、そもそも重度に医療に依存しなければいけない人が生活保護のメインターゲットであると思わないですか?医療・保護が必要なければ「働け」の一言で片付けられる部分は正直有ると思っていて、本当に故なく生活保護を受給している人ってそんなに多くないんじゃないかと思うんですね。
 もちろん一部の個人がシステムを悪用して悪をなしている、というのであれば先程も書きましたが正しくやるべきなのは、「法的に悪と認定される、制度を悪用した者(弱者に限らず)」を断罪せよ、と同時に「法的には悪ではないが望ましいと言えない制度」そのものを改善せよと要求する事だと思っております。

別に私は全部逆張りしたい、というニーズでもないですし、現行制度がパーフェクトで完璧であると主張しているわけではないです。その点はご承知おき下さい。
 ただ、属性をくくって断絶を煽るより、「属性に関係なく悪は悪として裁かれるべき」「問題のあるシステムはシステムを変えるべき」という事を主張しているのであって、もちろんシステム自体に故がなくシステムは消失すべきだという結論に大多数が至るのであれば民主的な方法を経て消失すべきだと思いますし、それ自体は決して主張しているわけではないです。

このあたり、「悪は悪として裁かれるべき」「なおすべき制度はなおすべき」については基本みんなアグリーできると思うんですが、個別論について属性憎しでヘイトに走る人が少なくない現状を見ると、とにかく生贄を捧げて「正義が執行される」のを見ないと溜飲が下がらない相当追い詰められた人が多いんだな、と思います。

私は斜に構えたスタンスなので「正義ほど人の神経を麻痺させる麻薬はない」くらいに思っているので、「正しい事が行われる事」と「正義が執行される事」には大きな差があると思っていますし、「論理的に正しい事」と「対立する軸が存在しうるいわゆる【正義】」って結構違うと思っていて、「正義」に魂を捧げると一歩間違うと(本来宗教ですらないのに)宗教戦争に至るので、自分の思う正義って「どこまで」だ?っていう部分は考えないといけないと思いますよ。正義に従って行動したとして責任を取るのは正義じゃなく行動した本人ですからね……。

というわけで今回も結構長かったんですが、私なりのスタンスとしてはこんな感じの意見です、というお話でしたー。

この記事を書いた人 Wrote this article

如月翔也

 ガジェットとAppleとTRPGが大好きな中年男です。文章をとにかく書くのが好きなので毎日のように色々なブログで文章を打ちまくっています。もし何か心に引っかかるものがあれば私のTwitterをフォローして頂けると更新情報が流れます。