オタクは現代の穢多非人なので
人間、昔っからそうなんですが、「自分より下と定められていてどれだけ偏見と理不尽をぶつけても許される人種」を必要とするんですよね。 なぜかというと普通に生きているつもりの自分は普通に生きているだけのはずなのに偏見や理不尽にさらされており、それを更に下に投げて鬱憤をはらさなければ自分が「普通に生きている」事の実感を得られないからです。これはフラットである自分に降りかかる理不尽はもっと下流に大きな波にして流さないと平穏ではいられない人間の心理からくる考えです。これはもう人間のサガなのでそうであるという部分は認めないと話になりません。 その上で、昔は穢多非人を「人の下」においたわけなんですが、今……