確定しないスタンスが重要だと思います

思春期の子供を持つ親がみんな悩む部分として、子供がアセクシャルであったり発達障害の傾向にあるんじゃないかと悩んだりする部分があると思うんですよね。
 もちろんアセクシャル・LGBTQ+が悪いというつもりはないですし、ADHD・ASPが悪いと言う訳ではないんですが僕は子供に限らず人については「常に選択肢を広く取っておく」事が大事だと思っていて、今回はそれについてのお話です。
 例えばセクシャリティについては今LGBTQ+の定義が暴走していて、「君はプリキュアが好きな男の子なんだね。じゃあ心は女だからトランスだ!」「君は特撮が好きな女の子なんだね。じゃあ心は男だからトランスだ!」みたいな暴論がばらまかれていると思うんです(あくまで僕の観測範囲ででは、ですよ)が、これは多様性の本質ではなく暴走だと思うんですよね。
 本来の多様性は「男の子だってプリキュアが好きでもいい。大多数ではないかも知れないが恥じる必要はないし君の個性は否定されない」「女の子だって特撮が好きでもいい。大多数ではないかも知れないが恥じる必要はないし君の個性は否定されない」と言うべきだと思うんですよね。
 そういう意味で正しい多様性の中に身を置きつつ、それでも性違和感、もしかして自分は体は男だけど心は女かもしれない、と思った時、または逆だった時に初めてLGBTQ+を疑うと言うか選択肢に入れるべきであって、いきなり「君はLGBTQ+だ!ようこそ!」というのは、それからの人生を「LGBTQ+」という属性の中から選ばなければならないので選択肢を狭める方向性だと思うんですよ。
 特に思春期を過ぎて成人を迎える前は自己決定権すらもっていない現状もある上に、思春期以前は子供って結構アセクシャルと言うかユニセックスな存在である事が多く、同性を好きになる事も決して稀ではないので、一回同性を好きになったらLGBTQ+というのは早計に過ぎるのです。
 2~3回までは偶然の可能性が否定できないので、2~3回を超えてなお同性が好きならLGBTQ+の可能性がある、成人を迎えてなお他人を性的に見る事が全く無いのであればアセクシャルの可能性がある、2~3人を超えて付き合ってなお性的に見る相手が同性異性両方ならバイセクシャルの可能性がある、くらいの大きな枠で見るべきですし、それでもなおかつ「まだ他に異性だけが好きになる可能性がある」なら「修正するように努力をしろ」という話ではなく、本人が独立した意志で確信を持つに至るまではLGBTQ+を自称・自認すべきではないと思うんですよね。
 これを言うと烙印主義者め、と罵られますが、一回LGBTQ+を自認するまでは自由ですが、その後一回でもカミングアウトした場合カミングアウトは「他人からの自分への認識をそれで統一する」宣言なので、もう取り返せないのです。
 一度同性愛者をカミングアウトした後はもう同性愛者として扱われるので、そこから「異性愛者」に戻るには結構簡単とは言えないハードルが存在するわけです。
 逆に言うとそれを宣言しなければ自分の立場は保留のままにできるので、いつか出会った好もしい異性と付き合うに当たって烙印を持たないで済むわけです。
 そういう意味で、LGBTQ+の特にカミングアウトについては非常に繊細な問題であると考えています。

同じ問題として、ADHDとASPの問題もあって、これも「我慢しろ」という話ではないんですが、特にADHDって一回認定されるともう「属性」持ちなので、例えば就職とかでそれを宣言しないと嘘をついた事になりますし、宣言するとそういう人であると認識されるので、ADHD向けの仕事を割り振って貰えるか、あるいは採用されない形になります。
 ASPに関してもこれは特に診断どうこうの話ではないですが、宣言する事によって「私には配慮が必要です」と宣言したわけなので、当然ながら「普通の付き合い」はして貰えません。なぜなら、普通の付き合いで問題がないのであればそもそもASPを宣言する必要がないので、ASPを宣言したという事は「私には配慮が必要です」と明確に宣言した事になるからです。
 この2つについても烙印主義者め、と罵られるかも知れないんですが、その傾向があるな、そうなんじゃないかな、と思った時に、診断名を貰う事で原因が明確になってそれによって人生が楽になる、良い方向に向かうのであれば問題ないんですが、「診断名を貰う」という事は属性を一つ確定させるという事なので、それからは「そういう人である」という事が決定づけられ、これから一生「そういう人である」として生きていかなければならない、という事なんですよね。
 そういう意味で、ADHD、ASPについては非常に繊細な問題であると考えています。

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今決めない勇気

これはポジショントークと言われれば仕方がないんですが、僕らは色々な問題に立ち向かい続けて生きてきている訳ですが、すべての問題は「今それに立ち向かう」「今は一旦逃げて方法を探る」「今別の方法で立ち向かう」という判断をしながら生きてきていると思うんですね。
 そして、カミングアウトしたり診断名をつける行為って「今それに立ち向かう」行為だと僕は考えているんですが、常に他の選択肢として「今は一旦逃げて方法を探る」と「今別の方法で立ち向かう」という選択肢がある事を決して忘れないで欲しいと思うんですよね。
 もちろん立ち向かって堂々と属性を手に入れればいい場面だってありますし、そうする事で今後生きやすくなる、自分の価値を信じられるようになるのであればそうすればいいんですが、今その選択肢を取る事でそれが達成されるのか、されるとして十分な効果が出るのか、他のタイミングの方が効果的ではないか、という事を常に考えた上で決めて欲しいと思うんです。
 ただ、今腹をくくる前に、「本当に決断していいのか」「本当に今でいいのか」「本当に今の相手でいいのか」を考えて欲しいですし、そして、「今決めない勇気」というものがある事も念頭において欲しいです。
 決めるのは一瞬ですが結果は半永久的です。今まさに最高のアドバンテージが取れると確信できているのであれば実行して構わないと思いますが、それに確信が持てない場合、「今決めない勇気」というのも逃げではなく決断である・勇気である事を決して忘れないで欲しいです。

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如月翔也

 ガジェットとAppleとTRPGが大好きな中年男です。文章をとにかく書くのが好きなので毎日のように色々なブログで文章を打ちまくっています。もし何か心に引っかかるものがあれば私のTwitterをフォローして頂けると更新情報が流れます。


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