醜い物ほど守ってやらねばならない

 表現界隈では醜いもの、醜悪なものは忌避される傾向にあり、ともすればすぐに規制を求める声が上がります。

 しかし表現の自由を守るためには醜悪なものこそ守られるべきで、私達は自分が唾棄したいそれこそを守ってやらねばならないのです。

 美しい表現は放って置いても守られます。しかし醜悪なものはそうでは有りません。

 そんなに醜悪ならやらなければ良いではないか、という考えもありますが、醜悪は絶対的な観念ではなく相対的な観念です。最悪の醜悪な表現を潰しても次の最悪が現れ、全部潰すと「今普通ですよね」という事が醜悪カテゴリに入ってくるのです。そして規制されるのです。

 そんなバカな話はないので、「今の普通」を守るためには、醜悪な表現を守ってやらなければならないのです。それが表現の自由です。

 もちろん唾棄するのは自由です。嫌悪感を感じるのも当然です。しかし、嫌悪を感じ、唾棄しながらも、その表現は「守られるべきだ」と言ってやらなければならないのです。

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如月翔也

 ガジェットとAppleとTRPGが大好きな中年男です。文章をとにかく書くのが好きなので毎日のように色々なブログで文章を打ちまくっています。もし何か心に引っかかるものがあれば私のTwitterをフォローして頂けると更新情報が流れます。


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