06月 2nd page

未分類 2020年6月13日

もっと柔らかいお話をしたい

ここ最近固い話ばかりしていて手触りがゴツゴツしている感じになってきていると思うので、たまにはもうちょっと柔らかいお話をしたいのです。 例えば、希望。 今理想的な状況にない人が、明日には理想に一歩近づけているんじゃないかと思って胸に抱く希望って、大事ですよね。 この「希望」を奪い去られてしまったら心が折れてしまう、生きていけなくなる、というのがあると思います。 こういう場合の希望は生存権の範疇に片足を突っ込んでいると言って良く、無碍に否定するものでも奪い取らなければならないものでもないと思います。 この「希望」というのは人それぞれで、愛される自分になりたい、誰かを受け入れられる自分に……

未分類 2020年6月12日

正義や善は絶対的なものではなく相対的なものなので

まあこのブログを見に来てくださる方に「私は特定のイデオロギーに脳を預けています」という人はいないと思うんですが、正義や善もイデオロギーなので「絶対的な正義・絶対的な善が世の中にはあって、それに脳を預けたいです」という話にはならないんですよね。 正義・善というのは時代によって異なりますし、大勢の人間が「これが正しい」と思って共通認識としての正義を作っても、それが10年後20年後50年後100年後に正義として扱われているかは怪しいところなのです。 それでも、少しでも正しくあれるようにちゃんと考えて、絶対的な善はなくても比較的な悪はあるので悪を遠ざけてより良い・より自由に近い世界に近づけるよう……

未分類 2020年6月11日

朝田理論は悪魔の発明ですよ

朝田理論という理屈があるんですが、「不利益と不快を感じさせられたら全て差別」「差別か否かというのは被差別者しか分からない」といった、つまり『差別』と感じた者に全ての決定権と主導権があるという考え方(Wikiより)なんですが、これは悪魔の発明です。 差別されたと主張してしまえば何であっても被差別者を装う事ができ、「私は差別されたと思った」というだけで保証が得られる悪魔のシステムなのです。 正直、この考え方を発明したせいで日本は30年遅れたと言って過言ではないでしょう。30年では済まないかも知れません。 他人に絡みに行く以上、絡む構造は絡む側に立証責任がないと「いい得」になるというか、否定……

未分類 2020年6月9日

内心の自由を思い出せ

基本的な事なんですが、人は言動に出さない限り何を考えても自由です。何を考えても、です。 どんなにインモラルな事を考えようとも自由です。なぜなら、「考えたかどうか」は本人にしかわからない事で、それに対して裁きを下す事はできないからです。 「お前はこう考えたに決まっている!」と決めつけて罰する事を許すと、どんな無茶な絡み方も可能になるので、それが許されない事はわかりますよね? そして「こう考えたに決まっている!」という決めつけが悪い以上、本人が否定したらそうであるとは言い切れない「こう考えた」という部分は罰せないのです。 あくまで罰せられるのは「こう考えた」結果行う「行動」であって、考え……

未分類 2020年6月7日

ゾーニングは徹底しても「誰の目にも触れない」にはならないので

趣味嗜好のゾーニングについてなんですが、興味本位で調べて目に入って発狂する人がいるんですが、調べたあなたが悪いのです。 ゾーニングしている時点で誰かの不快感を煽る可能性があるものなんですけども、その「誰かの不快感を煽る可能性があるもの」を求めてやまない人もいて、見たくない人の目には入って欲しくないんですが、それを欲しい人の目には入らなければ意味がないのです。 ゾーニングというのはゾーンを分けるという事なので、あなたのゾーンにいる範囲で目に入らなければ良いでしょう、という話で、あなたがあえて探しに行ったら目に入るのは当たり前の話なんですよ。 逆にもしあなたが徹底的に探しても見つからないよ……

未分類 2020年6月7日

論点整理:少女型ラブドール規制論|青識亜論|note

論点整理:少女型ラブドール規制論|青識亜論|note 非常に論理的に「ラブドール排除論」が「正しくない」かを解説しています。 基本的にラブドール関連はグロテスクでショッキングなので過剰反応しがちなんですが、ちゃんと紐解くとキモチワルイんですが規制しちゃ駄目だなと分かる話ですね。 正義の執行は感情で行われるのではなく論理で行われるべきなので、ラブドール規制は現段階ではやりすぎと言うか無理筋だな、と思いました。

未分類 2020年6月6日

共感は自らするものであって他人に求めるものではないので

SNSなんかで共感を求める投稿が多くあり違和感を強く感じるんですが、基本的に「共感」って自分が相手にするものであって相手に共感を求めるのは間違っているのです。 自分が相手の立場だったら、自分が相手と同じ状況にあったら自分はどう思うだろう、どうして欲しいと思うだろうと言う事を感じて考えるのが共感であり、それを他人に求めるのは傲慢なのです。 あくまでも相手との関係を良好にするために相手の立場になって考えてみる事が主眼なので、それを求めるというのは「自分との関係を良好にしなさい」という示唆を意味するものなのでお前何様だ、という話になるので、共感は自らするものであり相手に求めるものではないのです……

未分類 2020年6月4日

自分の事なんて案外わからないものですよね。

人になにかイラッとする事を言われた時に「自分の事なんて自分が一番良く知ってるよ!」と思う事があると思うんですが、意外と自分の事が見えていない事ってありますよね。 私の場合10代からロックが好きでパンク(ブルーハーツ)、メタル(筋肉少女帯・聖飢魔II)と流れて長い間自分が歌える日本語ロックを愛好してきたんですが、40歳を過ぎて飽きてきまして、色々自分の好みを探った時に、シンフォニックメタルからEpicaというアーティストを通して「英語の女声メタルが好きだ」という事実に突き当たりまして、そこに至るまで20年以上遠回りしてきた訳ですがたどり着いてみると「コレだ」感が半端なく、知らんものは好きにな……

未分類 2020年6月4日

あなたがコンテンツだと思って石を投げている相手は生身の人間なので

SNS炎上関係について思うのは、あなたがコンテンツだと思って石を投げている相手は生身の人間であり、本やCDに石を投げているのではなく血を流して苦しんで死ぬ人間に石を投げているのだ、という部分ですね。 本やCDは血を流しませんし苦しみませんが生身の人間はそうはいきませんし、そもそも本やCDだって人の主義主張・信条の極まった結果なので気軽に石を投げるのにふさわしいものではなく、石を投げたいのであれば海や大きな湖に、人の迷惑にならない程度にぽいっと投げて気分転換するくらいにとどめておくべきで、人を磔刑に処して石を投げていいという話はどこにもないのです。 テレビやSNSだと受け身で見るものなので……

未分類 2020年6月2日

ガジェット類の不調はちょっとしたパズルとして受け入れられる:好きという事はそういう事

ちょっとガジェット類というか、マウスの設定を行うユーティリティが2本あってバッティングした結果両方の機能が死んでいたので片方をリストラしてもう片方に設定を全部合体させたらうまく行ったので気分良くブログを書いているのですが、よく考えなくてもユーティリティがバッティングして機能が死んだというのはクソ案件であって試しにやったらうまく行った、良い気分というのは贔屓目すぎるのです。 まあ私デジタル系統が好きでガジェット周りは大好物なのでそれに関係するインシデントであれば基本的に上機嫌で解決できるという話なんですが、「好き」というのは物凄く補正が入るモノなんですよね。 ガジェット周りは基本的に論理的……