ネット界隈を見ていると色々な意見があるんですが、感情的・過激なものも含めて、「同じ理論で殺される論法」を使う人が非常に多くて面白く思っています。
「その理屈でいうと〜は〜だから同じ論法で死なない?」というただ単純な疑問を、それを吐いた人は持っていないのです。
しかし言っている人の話が本当に正しいのだとしたら、同じ論法で言っている人の意見も否定されるので、その話の先には焼け野原しか残りません。
まあ焼け野原にしたくてそういう論法を多用している人もいるのかも知れないんですが、人に論を吐く時にはまずその論が自分の袖を汚していないかに気をつけるべきで、相手を指差す前に自分の袖が汚れているのでは議論になりません。
もちろん罵詈雑言を吐きたくて論理っぽい言葉を使っているのであれば、それは「そういう行動をしてしまった」ので責任を取らなければならないので次は避けようね、と思うんですがそうじゃなく真顔で言っているのだとしたらちょっと考えが浅いんじゃないでしょうか。
まあ感情の発露として言葉があってもいいんですが、公の場に言葉をキャストするのは「意見」と取られても仕方がないですし、自由に意見を述べたのであれば自由に批判されるべきで、批判されることをしたのであればそれなりに痛い目にあってしまうので、できるだけ避けたほうがいいでしょう。
もちろん人間には言論の自由も愚行権もあるので自由にしていいんですが、騒動の中で大事なものを落としてしまう事がないように注意した方がいいですよ。失ってからでは遅いものも世の中多いですし。
最近ネット議論はマズい方向性に向かいつつあり、ヒステリーと悪意と混沌が広がっていると思うので、無闇矢鱈に近づかないのも1つの知恵だと思いますです。
くわばら、くわばら。
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如月翔也
ガジェットとAppleとTRPGが大好きな中年男です。文章をとにかく書くのが好きなので毎日のように色々なブログで文章を打ちまくっています。もし何か心に引っかかるものがあれば私のTwitterをフォローして頂けると更新情報が流れます。