如月翔也 32nd page

未分類 2020年6月25日

創作への批判は恐れなくていいです

このブログのアクセス解析を見ていたら「創作批判怖い」というキーワードを見つけたので、自分の創作を批判されるのが怖い人がいるのかな、と思いブログに書く事にしました。 結論から言うと、創作への批判は恐れなくていいです。創作への批判など呼吸をする事で二酸化炭素を出す事を責めているのと一緒で無理筋なので、聞くだけ無駄です。創作は自由なので批判は恐れずに、しかし批判は批判で表現なのでそれ自体を否定せずに穏やかなスタンスでいられればそれでいいです。 創作というのはその人の感情・想いを形にしたもので、そういう意味では誰だって創作をしているのです。何かを言葉であらわせばそれは表現ですし、何かを動きで……

未分類 2020年6月23日

遡れないほどの過去を責めてはならないのは

BlackLiveMatterの暴徒化についてもそうなんですが、基本的に良くない過去があったとしても、「該当者」が生存していないほど過去をさかのぼって責めるのは良くないのです。というか遡れないほどの過去を責めてはならないのです。 なぜかと言うと、例えば今私達が良識に従って善良に生きているとするじゃないですか。でもこれが100年後になったらどこかしらアウトになっている行動があると思うんですよ。そして100年後に「100年前の人々は邪悪だった」と言われる訳です。 でも、おかしいじゃないですか?今真面目に善良に生きていて、将来のモラルに適合はしなかったかも知れないけれども悪と知って悪をなし……

未分類 2020年6月20日

僕たちは「差別したい心を持っている」事を認識しないといけない

ネット上で溢れるヘイト、そして能天気に「これは区別だから差別じゃない」という人が大量にいるんですが、属性に対する区別は基本的に差別です。全体的に。 僕らは「差別したい心を持っている」事を認識しないといけないと思っていまして、無意識に何かを区別している時、それは区別じゃなくて差別じゃないのか、と疑ってみないといけないのです。 私が許せないものは許せない、みんなも一緒に許さないで欲しい、という気持ちは基本的にヘイトで、あなたが許せいないのは内心の自由なので許せなくていいんですが、「みんなも一緒に許さないで欲しい」というのは筋が違います。そういうのは基本的に「盗む、騙す、殺す」だけであって、そ……

未分類 2020年6月19日

メモなのでお気になさらずに

Tumblrの今使っているテンプレートは「無料テンプレート」の中にある「MinimalbyArturkim」というのを使っています。 GoogleSearchConsoleに登録するためにHTMLを改変しており「カスタムテンプレート」として扱われているので同じテンプレートを探す時には名前と種別をメモっておかないと見つからなくなるのです。 今日一回テンプレートを見失って発見するのに手間取ったのでメモを残しておきます。 基本的には「書きたい」ニーズでこのTumblrを使っているんですが、どういう人が見に来てくれているかやどういう動線で見に来てくれているのかには興味があるのでGoog……

未分類 2020年6月18日

特定の事象が許せなさ過ぎる場合、疲れているのかも知れません。

故あって物凄く疲れているんですが(そして疲れが取れる未来が今の所見えない)、疲れている時って心に余裕がないので普段なら気にならない、気になっても全然許せる範囲の事が癇に障ってイライラし始めるんですよね。 大体の場合人は心に余裕があると鷹揚になり、余裕がなくなると狭量になるんですが、疲れている時っててきめんですよね。 そういう意味で、今なにかすごく気に障る何がかあるとして、攻撃したい気持ちで溢れている人がいらっしゃるかも知れないんですが、それ本当にそんなに気に障ります?と思います。本来ちょっとイラッとする程度のものに過剰反応していませんか? そもそも何かを叩くという行為は示威行為・または……

未分類 2020年6月16日

同じ論法で殺される論法を使うのは筋が悪いと思います。

ネット界隈を見ていると色々な意見があるんですが、感情的・過激なものも含めて、「同じ理論で殺される論法」を使う人が非常に多くて面白く思っています。 「その理屈でいうと〜は〜だから同じ論法で死なない?」というただ単純な疑問を、それを吐いた人は持っていないのです。 しかし言っている人の話が本当に正しいのだとしたら、同じ論法で言っている人の意見も否定されるので、その話の先には焼け野原しか残りません。 まあ焼け野原にしたくてそういう論法を多用している人もいるのかも知れないんですが、人に論を吐く時にはまずその論が自分の袖を汚していないかに気をつけるべきで、相手を指差す前に自分の袖が汚れているのでは……

未分類 2020年6月14日

論理的であるという事は優しいという事なので

屁理屈ばっかこねやがってこの畜生が、と思うかも知れませんが、私は理屈をこねている時は「優しい」つもりでいるのです。 何を言っているのかと言うと、「優しさ」って2種類あると思うんですよ。 その時その人が求めている何かを提供する「与えるタイプ」の優しさと、常にいつも変わらず同じ系統を返す「変わらないタイプ」の優しさがあると思うんですよね。 ただ、「与えるタイプ」の優しさってポジショントークだと言うか、その人が求めているものを出しているだけなので究極的に言うと自己愛を肯定しているだけで何も与えていないですし、人と場合によって反応が変わるので結果が一定しないと言うか、とにかくブレやすいと思うん……

未分類 2020年6月13日

もっと柔らかいお話をしたい

ここ最近固い話ばかりしていて手触りがゴツゴツしている感じになってきていると思うので、たまにはもうちょっと柔らかいお話をしたいのです。 例えば、希望。 今理想的な状況にない人が、明日には理想に一歩近づけているんじゃないかと思って胸に抱く希望って、大事ですよね。 この「希望」を奪い去られてしまったら心が折れてしまう、生きていけなくなる、というのがあると思います。 こういう場合の希望は生存権の範疇に片足を突っ込んでいると言って良く、無碍に否定するものでも奪い取らなければならないものでもないと思います。 この「希望」というのは人それぞれで、愛される自分になりたい、誰かを受け入れられる自分に……

未分類 2020年6月12日

正義や善は絶対的なものではなく相対的なものなので

まあこのブログを見に来てくださる方に「私は特定のイデオロギーに脳を預けています」という人はいないと思うんですが、正義や善もイデオロギーなので「絶対的な正義・絶対的な善が世の中にはあって、それに脳を預けたいです」という話にはならないんですよね。 正義・善というのは時代によって異なりますし、大勢の人間が「これが正しい」と思って共通認識としての正義を作っても、それが10年後20年後50年後100年後に正義として扱われているかは怪しいところなのです。 それでも、少しでも正しくあれるようにちゃんと考えて、絶対的な善はなくても比較的な悪はあるので悪を遠ざけてより良い・より自由に近い世界に近づけるよう……

未分類 2020年6月11日

朝田理論は悪魔の発明ですよ

朝田理論という理屈があるんですが、「不利益と不快を感じさせられたら全て差別」「差別か否かというのは被差別者しか分からない」といった、つまり『差別』と感じた者に全ての決定権と主導権があるという考え方(Wikiより)なんですが、これは悪魔の発明です。 差別されたと主張してしまえば何であっても被差別者を装う事ができ、「私は差別されたと思った」というだけで保証が得られる悪魔のシステムなのです。 正直、この考え方を発明したせいで日本は30年遅れたと言って過言ではないでしょう。30年では済まないかも知れません。 他人に絡みに行く以上、絡む構造は絡む側に立証責任がないと「いい得」になるというか、否定……