如月翔也 30th page

未分類 2020年7月29日

自由は法律で縛るしかないので

自由というのは基本的にどこまでも波及するものなので、「誰が何をやっても自由」というところまで行くんですが、そこまでいくと逆に弱肉強食、自分のことは自分で守るしかない世界が来るので、そうならないように自由はある程度縛らなければなりません。 法律で縛っている事に対しては自由はないのです。法律を守っている範疇で自由が許されるのであり、法律が貴方の自由を侵しているのであれば法律を変えなければならないのです。法律を無視する動きは自由ではありません。 究極の自由の国って、訴訟天国というか、法律をうまく使い分ける世界になると思うんですよね……。

未分類 2020年7月28日

焦燥感だけが残る

年を取ったな、と思うようになってから非常に感じるのが、「考えた事がどんどん散逸していっている」事なんですよね。 一度何かについて考えて思う事があったとしても、1時間後には忘れている。また思い出す事もあるけれども消えていくものも多い、という状況があって、非常に脳の無駄遣いをしているのでもったいないと思うんです。 考えたらどこかにセーブして、そのあと続きを考えられるといいんですけど……焦燥感だけが残ります。 まあ考えた事を都度ブログに残していけば読み返して続きを考えられるので良いんですが、チャンクがまとまるまでは話題にはしないのでどうしても消えていく思考ってあるんですよね……。

未分類 2020年7月26日

向き合わなければ恐怖は克服できない

タイトルのとおりなんですが、向き合わないと恐怖は克服できないのです。 一昨日から右手の親指の第一関節の背の感覚がなく、しびれというか感覚の断絶を感じて、そして当該部分が冷えているのでなんらかの病気になったな、と思うんですが、考えられる中で最悪のパターンだと脳梗塞でここから右半身麻痺に派生、というパターンが考えられるので非常にナーバスになっており、まあ軽いパターンでは軽い腱鞘炎で済む可能性もあるんですが、どっちにせよ病院に行って結果を確定しないといけないのです。でも怖いんです。 まあ病気だったら悪化の可能性があるのだから早急に病院に行け、という話なんですが、指先には感覚があるのでヘルニアや……

未分類 2020年7月24日

人間はシングルタスクなので疑似マルチタスクまでが限界です

人間は、という話ではないかも知れませんが、少なくとも私はマルチタスク能力がなく、究極的に言うとシングルタスクしかこなせないので人間の限界は疑似マルチタスクまでだろうな、と思っています。 真のマルチタスクは実際無理で、マルチタスクのようにこなしている人は単位時間を細かく「物事を俯瞰する」「注意すべき部分を確認する」「対応する」を繰り返してマルチタスクのように見せているだけなので複数の仕事をこなすとオーバーヘッドで死ぬのでタスクを積むのには限界があると思うのです。 もちろんある程度複数のタスクを抱えている方が調子が出る、という人はいますが、どこまでも積んでも大丈夫、という事を保証するものでは……

未分類 2020年7月21日

お金の使い方は価値観なので

最近Macのアプリをピンポイント課金する事が増えてきたんですが、個人的には価値観が広がった結果だな、と思います。 今まで私はパソコン関係のソフト・アプリは無料が良い、無料でないといけないと思っていたんですが、キレながら存在しないアプリを5時間探すくらいなら1000円くらいのソフトなら課金してしまった方が健康に良いと思ってきているのです。 というか有料のアプリをいろいろ試したんですが、ちゃんと下調べして確認した範囲で買う分には思った以上の結果を出してくれるので「この機能になら課金できる」という前提を超えてくるので課金自体は悪じゃないな、と思うんですよね。 まあお金の使い方は価値観そのもの……

未分類 2020年7月20日

シニカルな態度には損もあるので

ちょっと色々考えるとシニカルな状態にはいる人が一定数おり、それは流行病なのでいいんですがそこから抜け出さない人が更に一定数いるのでもったいないですよね。 シニカルな態度って斜に構えているので目の前のものに正面からぶつかれないので、得られる経験が少なかったり、得られる成果が少なかったりするんです。 もちろんシニカルな視線を持っている事は視野の多彩さの観点から良い事なんですが、シニカルにだけ染まる、というのはもったいないと言うか、損をしているよなぁ、と思います。 このあたり視点だけ持ちつつ必要に応じてスタンスを変えられると便利ですよね。

未分類 2020年7月18日

長文が読めない

個人的な話なんですが、自分の各文章が多くても3500文字(別ブログですけどね)なのが理由なのかはわかりませんが、5000文字を超える長文を読めないのです。 もちろん小説のように流れのあるものはいいんですが(読めなくなってるかも知れないですが)、1つの話題を掘り下げて掘り下げて5000文字を超えられると「早く結論出してよ!」という気持になって読む気がしなくなるのです。 基本的に長文は「丁寧に書いた文章」である事がほとんどなので、相手の「わかりやすいように噛み砕いて説明しよう」という気持を踏みにじる行為なので「長文は読まない」「長文は読めない」というのは失礼な話なんですが、できないものはでき……

未分類 2020年7月17日

愚行権とは

人間には愚行権があります。 人には愚かな行為をする権利があるのです。 これ考えてみると難しいんですが、愚かだとわかっている行為をするのは愚かなので許されないのでは?という考え方が出来るんですが、思想・方法・概念は後から発達するものなので、今の栄養たっぷりのジャガイモを栽培している私達から見て初期のジャガイモを栽培しているのは愚かな行為なんですが、当時栽培していた人には方法がなかった・概念がなかったのでできなかった事なんですよ。それを愚行と行って切り捨てるのは無理筋です。 同じように他の人が「愚かだ」と断じる行為であってもその人には他に手段がなかった・概念がなかったのであれば愚かな行いを……

未分類 2020年7月15日

思想は簡単に死ぬので

ここ最近忙しいと言うか忙しない状態で、落ち着いてパソコンの前に座っている事もできず座る事ができない状態で脳みそがフル回転できるほど良い脳を持っていないので頭も全然回転していません。 ちょっと忙しいだけで思想形のブログが全然進まない形になっており、要は「思想は簡単に死ぬ」のです。 よほど命に関わる大きな思想でもない限りは日々の忙しさやテンパっている状況に押し流されて「思考を中断する」結果になるので、思想というのはかなり余裕がないとできない金持ちの趣味なんですよね。 だからこそ思想をやりたいわけなんですけども、金じゃなくて忙しい方でやられちゃうのはもったいないのでなんとかしたいんですが、今……

未分類 2020年7月12日

家庭内の役割演技

私は基本的に家から出ないので24時間365日「うちのお父さん」という立ち位置で見られており、そんなに意識しているわけではないんですが、たまに昔の友人と食事に行ったりすると「素の自分」が意識されると言うか、ああ、求められて演じている部分あるよな、と思うのです。 家庭内に限らず人はただ存在するだけで社会的な役割を期待され、意識・無意識に関わらず多少なりとも「求められているものらしさ」を演じている部分があるんですよね。 そういう意味でしがらみフリーと言うかロール(役割演技)のない人って生まれたての赤ちゃん以外にはいないよな、と思うのです。 まあだからどうした、という話なんですが、一つの箱に長……