見た目だけの男女同権に騙されるな

 こんにちは、如月翔也(@showya_kiss)です。
 僕はわりと「男女同権」という言葉に無理があると思っているタイプで、体裁だけ整えて「これが男女同権ですよ」という見せ方がとても気になるタイプなんですよね。
 今回扱う「男女同権」については基本的に「結果同権」についてのお話です。

例えば自殺率について

 例えば、これは無視されがちな問題なんですが、労働時間と相関して自殺率が上がるというのは良く知られた問題です。
 しかし男女同権で同じだけ男女が働いているのであれば男女の自殺率に有意な差が発生してはいけないはずです。ですが現実はぶっちぎりで男性の方が自殺しています。(他にも要因はあるでしょうが、男性7割女性3割というダブルスコアなのは明らかに何らかの問題を示唆しています。)
 一部の強い主張をされるフェミニストの方は「男性は心が弱いから死ぬのだ」と仰る方もいるんですが、「それって論拠(ソース)あるんですか?」という点と、未だに男性の方が多い形で社会が構成されている以上、「男性は心が弱い」のであれば社会が崩壊しており、すでに女性による社会が実現している理屈です。ならば訴える必要はなく、訴えている時点で主張に無理があるとみなさざるを得ませんよね。

男女同権で求める結果が「上澄みをよこせ」である件について

 男女同権を語るにおいて、現状女性が男性に「平等を求める」形になっています。
 しかし、これ、「平均を寄越せ」になっていないんですよ。
 男女同権者が見ている世界はいわゆる「男性の底辺職」が含まれていないんですよね。その仕事もやるからとにかく全部の仕事に女性を入れろ、であれば筋が通るんですが、男性の中では中級から上級に相当する「ホワイトカラー」に限定して「女性を入れろ」は都合が良すぎるんじゃないかと思うんですね。

ブルーカラーにもいる、というご意見もありますが

 ブルーカラーにも今女性が進出している、というご意見もあります。
 が、これはもう身体能力の差なので埋めがたいので仕方がないんですが、とてつもなく重いものは女性は運べないんですよ。そうなると結果的に男性が運ぶ事になります。
 同一賃金はあくまでも同一労働が基準です。重いものを免除されて重いものを男性に持たせるのであれば、負担の重い男性の方が給料が高いのが然るべきです。
 しかし、ここで賃金に差をつけて文句を付けない人たちではないですよね、男女同権者は?「同じく肉体労働に従事しているのだから同じ賃金であるべきだ」と主張するはずです。
 が、同じ賃金が欲しければ同じ労働をするのが筋です。逆に重いものを持たなくてよいのに同じ給料を持っていかれては男性従業員が報われません。軽い荷物で少し力を抜ける分を女性に持っていかれて、変わりに重い荷物が渡されます。女性が参加する事で男性の労働条件が悪化しています。
 もちろん、力仕事以外の部分、人のやりくりや効率的な人の配置について考えたりアドバイスするという形で貢献する、という方法もあるのですが、そういうのは一般的に「現場主任」の仕事ですので、主任の仕事を勝手に代行するのは権限逸脱ですし、じゃあ「主任をします!」と言った時に主任手当を欲しいと言い出したら本末転倒というか、優先的に楽をした上に上席を得るチャンスすら男性から奪う結果になっており、結局ブルーカラーにおいても「上澄み」を求める結果になってしまうんです。
 「男女同権」を語るのであれば、「女性が現場に入る事で男性の待遇が悪化する」事による損害をフォローし、お互いの労働に見合う賃金にバランスすべきだと主張すべきだと思うんですよね。

美味しいところだけつまみ食いはできないんですよ

 もちろんブルーカラーにおいて女性に重いものを持たせられないなら腰につける機械式のパワーサポーターを貸与して男性と同じだけ働けるようにするか、あるいは賃金に差をつけなければいけません。ここで「男性は女性を守るべきなのだから」と言い出す男女同権論者は自分の主義主張を見直すべきです。同権なのだから対等、守る必要はないし、そんな考え方は古いよ、というのが「男女同権論者」の主張だったはずです。
 都合良く主張とモラルと紳士主義を混ぜて使い分けるのであれば男女同権主義を名乗るべきではありません。それは女性至上主義です。そういう人が論議に加わると女性至上主義は女性崇拝とイコールで、ロジックではなく感情による主義なので、感情とロジックが交錯して話がまとまらなくなるんですね。
 「男女同権主義」という主義を社会になじませようとするのであれば、どこで妥協してどこは譲れなくて、結果的にどう着地するべきかを考えるべきで、主張するだけ主張して結果に繋がらず満足して帰っていくのであれば人の時間を奪うだけの無為な行為なので、建設的に話をする準備がないならお互い議論は避けませんか?

本当に「男女同権主義」を実践するなら

 本当に男女同権主義を実践するなら、下駄は履かせるものの男性と同じ結果を求める、または下駄を履かせないかわりに男性に求める結果を引き下げる、のいずれかでなければならず、比較的貧困層の男女比も自殺の男女比も生活保護の男女比も等しく半々でなければなりません。
 「男女同権主義」を主張する以上、「男は黙って死ね」の世界を否定し、「男も女も必死でもがいて生きろ」としないといけないんですよね。

 僕はそう主張している男女同権主義者を(僕の視点から見た範囲では)見た事がないので「男女同権主義」にはかなり懐疑的な見方をしています。

 というお話でした。

この記事を書いた人 Wrote this article

如月翔也

 ガジェットとAppleとTRPGが大好きな中年男です。文章をとにかく書くのが好きなので毎日のように色々なブログで文章を打ちまくっています。もし何か心に引っかかるものがあれば私のTwitterをフォローして頂けると更新情報が流れます。