「掛け算の順序」問題は「運動中に水を飲むな」と同じである

こんにちは、如月翔也(@showya_kiss)です。
 今回は算数・数学の世界で結構な勢いで炎上するネタである「掛け算には順序があり正しい順序で立式しないと減点である」というお話についてです。

まず現状として

現状として、今の小学生は算数の掛け算では「何個で1セットか かける 何セットか」で立式して計算するのが正しいとされています。
 ここで問題になるのは、掛け算の性質である「順序がどうであろうと全部掛けているのであれば結果は一緒である」という部分です。
 「1袋5個入りのバナナを3袋買いました。バナナは何個ですか?」という問題に対しては正しい立式は「5×3=15」となるのが正しいとされます。
 しかし逆にこれを「3×5」で立式しても「3×5=15」で答えは一緒です。
 この時、教師によっては後者の場合を「立式が間違っているので減点」とする教師がいるのが問題です。

個人的な話をすると

僕はおおよそ40年前に掛け算を習ったのですが、その時には「かけ算の順序」については特に指導を受けませんでした。しかし、今「掛け算の順序を間違えると減点になる」のであれば、僕が掛け算を習ってから40年間の間に「掛け算の順序を間違えると問題になる」なんらかの発見があった事にならないと筋が通りません。しかし、そんな発見は僕の観測範囲では存在しません。
 そもそも掛け算とは縦と横でマスを作って、マスの数を数えるための計算方法です。
 縦3列、横5列を計算する場合、縦を中心に考えて3×5で計算しても答えは15ですし、横を中心に考えて5×3で計算しても答えは15なんですよね。

僕の調べた範囲では

僕の調べた範囲では、一般的な感覚として「3×5」と表現した場合、日本では概ね「3+3+3+3+3」と理解されるようですが、これ、英語では概ね「5+5+5」と理解されるようです。
 この時点で「掛け算に順序がある」論については全世界的なセオリーではないと言う事がはっきりします。
 という事はグローバルな話ではなくローカルな話であり、ローカルの話で終止している以上本質の話ではないと言えます。
 本質の話であれば全言語で統一を図るはずですし、論文などの書き方もそれで統一される方向で調整されるはずだからです。

ではなぜ今「何個セット かける 何セット」で計算をするのか

ではなぜ今「何個セット かける 何セット」で計算をするのかと言うと、これは「教えやすさ」と「学びやすさ」というポイントなんですよね。掛け算って小学校2年生、学校によっては1年生でもう習ってしまう概念なので、「掛け算は入れ替えが可能なのでどう計算しても結果が合えば問題ない」っていうのを教えるのが非常に難しいんです。
 基礎を勉強している時点で「どっちで計算してもいいよ」という教え方をすると習う側が混乱する、曖昧な覚え方をして将来足し引きが入っているのに好きな順で計算する、ような問題が起こるので、とりあえずの「仮の定義」として「掛け算は 何個セット かける 何セット で計算しますよ」と教えます。
 教わった側は確定した定義を貰えるのでまず最初に計算をするのが容易くなる(混乱せずにする)ので都合がいいですし、その後ゆっくり交換法則を教えて「実は順番は入れ替えても同じ答えが出るんだ」と教えるわけです。
 これが「何個セット かける 何セット」で計算するかの理由です。

「掛け算の順序」問題は「運動中に水を飲むな」と同じである

ここで本題に戻るのですが、今「掛け算に順序がある」と言っている人は、「運動中に水を飲むな」と言っている人と同じであるという事です。
 昔の人が「運動中に水を飲むな」と言っていたのは、その先代である先輩方が戦争で活動中に「衛生的かどうかわからない水を飲む」事により腹を壊す・病気にかかる事を避けるために、「軍事行動中は水筒に事前に汲んだ衛生的な水以外を口にしてはいけない」、というのを伝えているうちに話の骨子が曲がって伝わっていって、「軍事行動中」が「運動中」に、「衛生的な水以外を口にしてはいけない」が「水を飲んではいけない」に変化していって「運動中に水を飲むな」という話になったのです。
 ですが、今の私達は知っているはずです。運動中はむしろ衛生的な水であればちゃんと補給し塩分も補給しないと行けないという事を。

まあ僕はそもそも「掛け算には順序がある」という習い方をしていなかったので自然と「掛け算には順序がある」という考え方には否定的なスタンスなんですが、そもそも「順序がある」事自体がグローバルスタンダードの話でない以上真理・本質には全く至らない話なので、これは「教え方の都合」でそう教え、「そう習ったからそれが絶対」と思って教え継いできた結果が今の一部の「立式の順序が違う場合減点」という教師がいるのだと思います。
 ですが、これはキツい言い方なんですが、グローバルスタンダードな話ですらない掛け算順序の話を「そう習ったから」という理由で疑う事なしにバツをつける、なんなら自分で掛け算の交換法則について教えておいてバツをつけるというのは、教師としてどうなんでしょう……?
 算数・数学は数字の計算の問題なので、国語力を試す問題を出題すべきではなく、結果的に正しい答えに至る立式でかつ「あきらかに適当に書いたら正解になったもの」以外についてはバツをつけるのをためらうべき、ためらって結局マルをつけるべきだと僕は考えるのです。

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如月翔也

 ガジェットとAppleとTRPGが大好きな中年男です。文章をとにかく書くのが好きなので毎日のように色々なブログで文章を打ちまくっています。もし何か心に引っかかるものがあれば私のTwitterをフォローして頂けると更新情報が流れます。