配慮なき関係性を是とするのは非である

 なにかの関係性に置いて「互いが互いを思いやって考えていくのが正道ですよ」と言うと「いや私(達)は違う。世の中はそれが全てではない」と返してくる人がいるんですが、スタート地点で心の距離がゼロなのは人間的に壊れていると言わざるを得ないので、今の心の距離が保てているのは互いに配慮して距離を置きあった結果折衝された距離が今のものなのです。

 よって配慮なき人間関係性を是とするのは無理筋で、必ず相手に配慮をしないと関係が破壊される・あるいは関係が維持されているのは無意識の配慮の結果であるという事です。

 友達はもちろん親子親戚関係でもそれは言えて、相手に配慮する事を否定するのは難しいです。というか本当に配慮しないでこれているのであればあなたが天才的な距離感覚の持ち主か、あるいは必要とされる配慮を相手に全投げしている無責任かのどちらかだという事で、おそらく後者の可能性が極大なのでそのまま生きていけると思わない方がいいです。

 相手に気を使う、というと他人行儀に聞こえるかも知れませんが、相手を理解して考えてあげるのは人間関係の基礎の基礎、むしろそれをしないのは他人行儀と言うか他人事なのです。

 なので、配慮なき関係性を是とするのは非であります。

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如月翔也

 ガジェットとAppleとTRPGが大好きな中年男です。文章をとにかく書くのが好きなので毎日のように色々なブログで文章を打ちまくっています。もし何か心に引っかかるものがあれば私のTwitterをフォローして頂けると更新情報が流れます。