役員の半数を女性にするのって本当にジェンダーフリーなの?

 五輪委員会の会長を女性にすべき、役員の半数が女性であるべき、みたいな話を見て思うんですが。

 役員の半数が女性なのって本当にジェンダーフリーですか?

 今、100人生まれてきて50人50人の男性女性で、せーのーで、で社会に出て50人50人。

 そこから20年たったと仮定して40歳、会社に残ってるのは50パーセント50パーセントですか?そうだとしたら役員の半分が女性でもおかしくないんですが、現状50パーセント50パーセントではないでしょう?それと同じ比率の役員数である方が真にジェンダーフリーじゃないんですかね?

 男女同権についてはどうしても男性が中心に見られるので女性に下駄を履かせる方向に話が行くんですが、履かせる下駄が高すぎると男性のジェンダーが蹂躙されるので、程よくバランスしなければならないのです。

 男性については「必要以上に大事にされている」という説もありますが、そうではなく、消費されるセクシャルなのでみなさんの目に見えない脱落者が大勢いて、その人達は人間として認めて貰えない現状にあるので、「良い部分だけ見てそれに合わせろと主張する」のは無理があります。良いところを欲しければセットのマイナスを抱えざるを得なく、女性の苦界と男性の苦界の違いなんかも考えるとなんでもかんでも男性に合わせれば良いわけではないですし、男性だから受ける偏見や強制もあるので、ジェンダーフリーについてはもうちょっと考えて主張すべきではないかと思います。

 なお、私は五輪会長は今回「東京五輪を実施できなかった人」として叩かれる運命の人なので、女性ではなく面の皮の厚い男にやらせるといいと思います。というか会長の後任人事決めないで、「五輪は中止します」とできないですかね。

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如月翔也

 ガジェットとAppleとTRPGが大好きな中年男です。文章をとにかく書くのが好きなので毎日のように色々なブログで文章を打ちまくっています。もし何か心に引っかかるものがあれば私のTwitterをフォローして頂けると更新情報が流れます。