論点整理:少女型ラブドール規制論|青識亜論|note
論点整理:少女型ラブドール規制論|青識亜論|note 非常に論理的に「ラブドール排除論」が「正しくない」かを解説しています。 基本的にラブドール関連はグロテスクでショッキングなので過剰反応しがちなんですが、ちゃんと紐解くとキモチワルイんですが規制しちゃ駄目だなと分かる話ですね。 正義の執行は感情で行われるのではなく論理で行われるべきなので、ラブドール規制は現段階ではやりすぎと言うか無理筋だな、と思いました。
論点整理:少女型ラブドール規制論|青識亜論|note 非常に論理的に「ラブドール排除論」が「正しくない」かを解説しています。 基本的にラブドール関連はグロテスクでショッキングなので過剰反応しがちなんですが、ちゃんと紐解くとキモチワルイんですが規制しちゃ駄目だなと分かる話ですね。 正義の執行は感情で行われるのではなく論理で行われるべきなので、ラブドール規制は現段階ではやりすぎと言うか無理筋だな、と思いました。
SNSなんかで共感を求める投稿が多くあり違和感を強く感じるんですが、基本的に「共感」って自分が相手にするものであって相手に共感を求めるのは間違っているのです。 自分が相手の立場だったら、自分が相手と同じ状況にあったら自分はどう思うだろう、どうして欲しいと思うだろうと言う事を感じて考えるのが共感であり、それを他人に求めるのは傲慢なのです。 あくまでも相手との関係を良好にするために相手の立場になって考えてみる事が主眼なので、それを求めるというのは「自分との関係を良好にしなさい」という示唆を意味するものなのでお前何様だ、という話になるので、共感は自らするものであり相手に求めるものではないのです……
人になにかイラッとする事を言われた時に「自分の事なんて自分が一番良く知ってるよ!」と思う事があると思うんですが、意外と自分の事が見えていない事ってありますよね。 私の場合10代からロックが好きでパンク(ブルーハーツ)、メタル(筋肉少女帯・聖飢魔II)と流れて長い間自分が歌える日本語ロックを愛好してきたんですが、40歳を過ぎて飽きてきまして、色々自分の好みを探った時に、シンフォニックメタルからEpicaというアーティストを通して「英語の女声メタルが好きだ」という事実に突き当たりまして、そこに至るまで20年以上遠回りしてきた訳ですがたどり着いてみると「コレだ」感が半端なく、知らんものは好きにな……
SNS炎上関係について思うのは、あなたがコンテンツだと思って石を投げている相手は生身の人間であり、本やCDに石を投げているのではなく血を流して苦しんで死ぬ人間に石を投げているのだ、という部分ですね。 本やCDは血を流しませんし苦しみませんが生身の人間はそうはいきませんし、そもそも本やCDだって人の主義主張・信条の極まった結果なので気軽に石を投げるのにふさわしいものではなく、石を投げたいのであれば海や大きな湖に、人の迷惑にならない程度にぽいっと投げて気分転換するくらいにとどめておくべきで、人を磔刑に処して石を投げていいという話はどこにもないのです。 テレビやSNSだと受け身で見るものなので……
ちょっとガジェット類というか、マウスの設定を行うユーティリティが2本あってバッティングした結果両方の機能が死んでいたので片方をリストラしてもう片方に設定を全部合体させたらうまく行ったので気分良くブログを書いているのですが、よく考えなくてもユーティリティがバッティングして機能が死んだというのはクソ案件であって試しにやったらうまく行った、良い気分というのは贔屓目すぎるのです。 まあ私デジタル系統が好きでガジェット周りは大好物なのでそれに関係するインシデントであれば基本的に上機嫌で解決できるという話なんですが、「好き」というのは物凄く補正が入るモノなんですよね。 ガジェット周りは基本的に論理的……
私は基本的に思想主義は自由に持っていて良い、語るを超えて他人に強制しなければどんな主義思想を持っていてもそれ自体は許される(主義思想によって起こした行動は別)と思っているんですが、性の自由化に伴う男性ホモセクシュアルの色情狂には納得できない部分が若干あります。 男性ホモセクシュアルの場合妊娠しないという部分が密着文化に貢献していわゆるハッテン場での自由な行為につながるんですが、まあ性欲を無制限に発散できるのはラッキーなのかもしれないですがそれ起因の病気を伝染し伝染されて最終的に国の保険制度にすがるのは構造的にどうなんだ、と思うんですが、これはまあ私がヘテロセクシュアルで妊娠の危険性がある性……
世の中にちょっと考えただけでは「相手が悪い」と思う事って結構あると思うんですが、相手が悪いと思った時点で石を投げてしまう人が非常に多く、それはとても良くない事なので気をつけた方が良いと思うのです。 ぱっと見相手が悪いと思っても文脈の問題で悪く見えているだけの可能性がありますし、そもそも相手が本当に悪ければあなたが石を投げるのではなくちゃんと法律で罰さなければならない(そして法律で罰するのであればあなたが罰する必要はない)ので、相手が悪かろうが悪くなかろうがあなたが石を投げるのは良くないのです。 もう一歩踏み込んで言うと、「相手が悪い」と思うのはあなたの気持ちなので内心の自由なんですが、「……
フェミ界隈の人とかを見ていると思うのは、「人は何故三大欲求の1つである性欲を除外できると思うのか」という部分を感じますね。 人の食欲を禁止しても食べないわけには行かないので隠れて食べますし、人の睡眠欲を禁止しても寝ないわけには行かないので隠れて寝るんですよ。 その理屈でいうと人の性欲を禁止してもしないわけにはいかないので隠れてするので、この「隠れてする」のが犯罪に繋がらないように性欲を自分で処理する権利は残しておかないと駄目なんですよ。 鴨を食べちゃ駄目だけれども合鴨は食べて良い、というのは鴨を禁止した時に食欲を制限できないので「合鴨」を編み出した話なんですが、それが許されるのであれば……
文章を書く事もそうですが、質と量が両方求められる事をする場合、まずは量を増やすべきです。 量を増やしていけば必然的に「良いもの」が出来上がってくるのでそれをサンプリングして分析して「どうすれば良くなるのか」を考えて更に出力を増やせばいいのです。 先に質を求めると出来上がる結果が少ないので得られる経験値も少なくなり、たしかに無駄打ちは減りますが合格ラインに達するまでの時間が非常にかかる結果になるので良くなく、どちらにせよ合格点に至るまでの無駄打ちの数は大差ないので、まずサンプリングを増やす・経験値を増やす目的で「量を増やす」のが大事だと思います。 私は自分の文章作成については基本そのスタ……
魔王の憂鬱は如月翔也のブログの中では「思想系ブログ」の位置づけなんですが、思想って要するに「考える事」なので、考えない日はないので「思想ブログ」なら毎日更新できるのでは、という部分が自分の中でも若干あるんですが、毎日更新と銘打っていないのには理由があるのです。 平たく言うと「考えた事をブログにしたい」のであって、「ブログを書くために考えたくない」なんですよね。 どこが平たいんだ、という話なんですが、要するに毎日色々考える中で「これってどうなんだろう」「僕はこう思うけどみんなはどうですかね?」と思った事をブログにしたいのであって、ブログを書くために「さあ何か考えるか!」という動線にはしたく……