僕たちは「差別したい心を持っている」事を認識しないといけない

 ネット上で溢れるヘイト、そして能天気に「これは区別だから差別じゃない」という人が大量にいるんですが、属性に対する区別は基本的に差別です。全体的に。

 僕らは「差別したい心を持っている」事を認識しないといけないと思っていまして、無意識に何かを区別している時、それは区別じゃなくて差別じゃないのか、と疑ってみないといけないのです。

 私が許せないものは許せない、みんなも一緒に許さないで欲しい、という気持ちは基本的にヘイトで、あなたが許せいないのは内心の自由なので許せなくていいんですが、「みんなも一緒に許さないで欲しい」というのは筋が違います。そういうのは基本的に「盗む、騙す、殺す」だけであって、それ以外の事はケースバイケース、好むも嫌うも内心の自由の範囲なので法律に反さない限りはスルーしないといけないのです。

 「みんなが思う事」は常識かも知れませんが、それは10年後50年後100年後に正しい事を担保しないものですし、逆転して「みんなが許さなければ常識になる」と思う人もいるので、それは大きな間違いである事を認識しなければなりません。

 僕らは基本的に何かを区別したがるんですが(社会は区別でできているので)、その区別は今正しいのか、これからも正しいのか、変えていくべきものなのかそうじゃないのか、というのは考えていかなければなりませんよね。

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如月翔也

 ガジェットとAppleとTRPGが大好きな中年男です。文章をとにかく書くのが好きなので毎日のように色々なブログで文章を打ちまくっています。もし何か心に引っかかるものがあれば私のTwitterをフォローして頂けると更新情報が流れます。